2007年11月29日 (木)
2007年11月27日 (火)
稲村ケ崎からの富士山
11月23日(金)、天気予報では晴れとの事だったので、朝一番電車5:04に乗り鎌倉の「稲村ケ崎からの富士山」を撮りたくて出かけた。鎌倉駅から江ノ電に乗り稲村ケ崎駅に到着したのは6:05分、丁度1時間で来られた。未だ薄暗く、海側には雲も沢山有ってお天気が心配だ。
写真は稲村ケ崎駅で下車した電車、乗客も疎らで車内やホームの照明だけが目立っていた。この駅から5分位海側に向かって歩くと右の写真の様に「稲村ケ崎」 (いなむらがさき)と言う小さな半島が有ります。この場所は鎌倉時代、源義経が鎌倉に居る兄、源頼朝に会おうとして来たが、この場所で足止めされ近くの寺で面会の許しを待つが叶わず、諦めてここから引き返したと言われる歴史的な所です。現在は半島を切り出し大きな道路が通じて居ますが、当時はこの半島が簡単に鎌倉方へ入れない要塞の役目をして居たと考えられます。
左の写真は今回目的の富士山撮影ポイントから見た江ノ島と早朝から釣りを楽しむ穏やかな海岸風景です。右の写真は「関東の富士見百景」ポイントに指定されてる標識です。一寸した撮影ポイントになって居るせいか、自分以外にも三脚付きカメラで日の出や富士山の雄姿を待って居ました。
周りの風景にはまだ明かりが点いて居り、日の出も雲が有って定かでは有りません。勿論富士山の姿も確認出来ませんでした。下段右の写真には江ノ島越しに微かに箱根連山が見えました。予報では晴れと言うので早朝から待って居たが、寒くなり岩壁の陰で風除けをして待つ事にした。
左の写真は遥か彼方に有る「初島」が見えました。そして東の雲間に日の出を知らせる朝焼けが出始め、トンビも飛来して居た。一寸したら富士山が見えるかも知れないと、微かな望みも湧いて来た。
富士山を撮りたくて、ここで待つこと1時間を過ぎた7:20分頃、不満足ながら漸くそれらしき姿を写す事が出来ました。薄い雲やもやが架かって居る上に山頂の雪も僅かで、自分が期待して居た富士山では有りませんでした。再度の挑戦を12月に行う積りで帰宅した。美しい富士山をアップしたくて計画した出来栄えが、この様な内容で申し訳け有りませんでした。
2007年11月25日 (日)
湯島天神菊祭り(7)
前回までは湯島天神菊祭りで見られた菊の種類をご紹介して来ましたが、今日はそれ等を園芸家が丹精込めて造られた形(仕立て)の主なるものを紹介致します。
先ず最初は左の写真の様に一番ポピュラーな3本仕立ての「盆養」(ぼんよう)です。右は1本の菊を背を低く仕立てた「福助造り」と言います。左は厚物の菊、右は管物の菊です。勿論大菊ならどちらの形にも出来る訳です。
上4枚の写真は「懸崖」(けんがい)と呼ばれ、沢山の蕾で好みの形を表現する為、新芽の時から枝の形を整え行く壮大な計画と努力の結晶です。大きさにより大懸崖、中懸崖、小懸崖と分類されてる様ですがサイズの基準はどの様になって居るかは不明です。
上2枚写真は大小の菊を組み合わせて庭園の様に表現した作品で「盆庭」(ぼんてい)と言います。
上の2枚は「菊人形」と呼ばれ、小菊を沢山使い一般的にはその年の大河ドラマの主人公や話題の人物等がモデルになって居ます。ここでは今年の大河ドラマ、風林火山の上杉謙信と武田信玄でした。
この形は「大造り」や「千本咲」と言われる大作で、一本の株からこれだけ沢山の花を咲かせる事が出来きた、おとぎ話の「花咲・・さん」の様です。 紅白の2色混合はおそらく育つ最中に接ぎ木をした物と思います。花の数を数えては居ませんが素晴らしい出来栄えに、しばしシャッターを切るのをためらった位でした。
湯島天神菊祭りの紹介も今回を以って終了させて頂きます。今回は写真を撮るだけではなく、菊の種類や形も色々勉強させて頂きました。園芸家の並々ならぬ努力へ敬意を表すると共に、小生の拙い記事を読んで頂きました方々、コメントを下さった方へ厚くお礼申し上げます。
2007年11月24日 (土)
2007年11月23日 (金)
2007年11月21日 (水)
2007年11月19日 (月)
2007年11月17日 (土)
2007年11月15日 (木)
湯島天神菊祭り(2)
3枚目の写真の様に何時も家族の誰かが、身内の方が希望の進路へ進まれる(合格される) 様に願って絵馬を奉納して居る様子が伺えます。自分にも覚えが有りますが、息子が受験した時、場所は違って居ましたが亀戸天神で同じ願いをしたものです。
さて、この神社に付いて述べますと、湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は、東京都文京区にある神社で、通称湯島天神、旧称湯島神社とも言われて居ます。古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っていることで、特に受験シーズンには、合格祈願の為に、多数の受験生が参拝に訪れるが、普段から学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている天満宮です。また、境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った「湯島の白梅」(1942年)は、戦中時の歌として大ヒットした。
さて本来の菊祭りですが、写真の様に境内の何処からでも見られる様になって居ます。
個々の作品は次回から紹介致します。(次回に続く)
2007年11月13日 (火)
2007年11月11日 (日)
2007年11月 9日 (金)
2007年11月 7日 (水)
河口界隈寸景(4)
今日は鶴見川の西側と京浜第一(国道15号線)の間に有る旧東海道沿いの歴史的街並み「生麦魚がし通り」を紹介致します。上の写真はこの商店街北口に当たる臨港鶴見線の「国道駅」出入り口です。右の写真で右奥出口が京浜第一国道側の出入り口になって居ます。このトンネルは鶴見線のガード下ですが、奥が鶴見駅方、手前が次の駅小野町方です。
上3枚の写真は国道駅から南に向かって歩き振り返った見た街並みです。この道は旧東海道で両側の店には魚やさんが沢山有ります。その為この辺を「生麦魚がし通り」と言われている訳です。魚がしは東京築地に集中された現在でも、ここへ来ると規模は小さくても、ここも魚がしだと十分感じます。それは昔、鶴見川河口が如何に豊富な漁場で有ったかを物語って居ます。交通手段の発達で全国何処でも物流が容易になった今日でも、この商店街は昔からの伝統を守るべく頑張って居られる様子が伺えました。
これは「道念稲荷」(どうねんいなり)と言いまして、この商店街の中程に有ります。生麦魚がしと道念稲荷等に付いての詳細をご希望の方は下記URLをクリック下さい。
皆さんご存じの通り、生麦と言えば「生麦事件」でしょう。その事件が起こった通りがここで、歴史を伝える多くの碑が有ります。右の看板は「蛇も蚊も」(じゃもかも)と言う祭りの謂れが書いて有ります。この小さな街でも旧東海道ともなれば歴史的な重みが沢山有り、小生ごとき者が説明できる内容では有りません。詳細は下記URLからご覧下さい。
★生麦魚がし通りと道念稲荷・生麦事件等のホームページ
http://www.city.yokohama.jp/me/tsurumi/82/82a/html/t8.html
★蛇も蚊も祭りのホームページ
http://www.asahi-net.or.jp/~tv4y-szk/kyuutoukaidou/gazou/jyamokamo.htm
今回を以って河口界隈寸景の投稿を終わります。このシリーズに対し多くの方々にお読み頂き感謝致します。
2007年11月 6日 (火)
2007年11月 5日 (月)
2007年11月 4日 (日)
2007年11月 3日 (土)
東北の錦秋(4)
友人S,H氏から写真提供された東北秋景色の掲載も今回を以って最終回とさせて頂きます。友人は秋田から車で廻れたとの事ですが、本来は本日の写真からアップすべきでした。たまたまデーターの入手順序が後先になり、途中から紹介した為、ご本人も読者の皆様にも分かりにくいストーリーとなってしまいました事をお詫び致します。この写真は10月25日、晴天の日本海「男鹿西海岸」と「入道崎灯台」です。この日は写真の様子から穏やかな海面ですが、もう直ぐ冬将軍がやって来て、空は鉛色、海は怖い程の波が立ち、この写真とは全く違う表情に変わって居るでしょう。
次は秋田から東方向に有る田沢湖付近「抱返り渓谷」の写真を見て下さい。滝の名前は不明ですが、紅葉と美しい姿の滝とのコラボレーションが、今回紹介致しました旅紀行「東北の錦秋」ラストに相応しい秋色の映像です。
今回友人からジャストタイミングな秋景色の写真を提供して頂き、全5回ものブログ更新が出来ました。先にも述べましたが、データー入手の前後により、ストーリーがチグハグとなりました事をお詫び致します。しかし、美しい東北の秋景色は十分堪能して頂けたものと思って居ります。このシリーズに対し多くの方々に見て頂きました。この場をお借りして厚くお礼申し上げます。最後になりましたが、この度も沢山の貴重な写真を提供して下さった友人へ心から感謝致して居ります。


















































































































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